vol.107 ASEANの歴史をハイライト

今回も以前のブログに引き続き、ASEAN各国の歴史を凝縮して振り返ってみようと思います。
主に近代史に焦点を当て、下の表内にまとめております。

なぜ歴史を知る必要があるかって思っていませんか?
これから取引する相手国の歴史を知ることで、少しでも認識をしておくことが大事だからです。

例えば国によっては突然の政権交代による影響で、ビジネスも大いに左右されることがあります。
ではそれはなぜそうなってしまうのでしょうか。その鍵はその国の政治的な歴史があるからです。

ミャンマー政変

ミャンマーは長らく軍事政権による統治が続いていましたが、2010年代に入ってから徐々に民主化への道を歩み始めました。その流れの主な出来事は以下の通りです。

2010年にミャンマーで約20年ぶりの総選挙が実施されました。しかし、この選挙は軍の支配が強く、アウンサンスーチー氏率いる国民民主連盟(NLD)は選挙の公正性を欠くとしてボイコットしました。その結果、軍の影響を受けた政党が政権を維持しましたが、これが民主化への第一歩とみなされました。長年軟禁状態にあった民主化運動の指導者アウンサンスーチー氏が解放され、国民の期待が高まりました。

2011年にはテインセイン大統領の下で「準民政政府」が発足しました。テインセイン政権は民主化改革を進め、言論の自由や報道の自由が徐々に認められるようになり、政治犯の解放も進められました。また、対外的にも積極的に欧米諸国との関係改善を図り、経済制裁が一部解除されるなど、国際社会からの支援が得られるようになりました。2015年にはミャンマー初の自由な総選挙が行われ、NLDが圧勝しました。これにより、アウンサンスーチー氏が実質的なリーダーとして政権を主導する形が整いました。

NLD政権は経済改革やインフラ整備、国際関係の強化を進めましたが、軍と文民政権との権力闘争が続き、憲法改正を目指す試みも軍の反対で難航しました。また、国内の民族問題や少数民族ロヒンギャへの対応が国際的な批判を受け、政権の支持基盤が揺らぐこともありました。

    このように、ミャンマーは段階的に民主化を進めましたが、軍の影響力が根強く残る複雑な体制の下での統治が続いていました。そして、2020年の選挙でNLDが再び大勝したことが、後の軍事クーデターへとつながる大きな要因となったのです。

    ミャンマーでは2021年2月1日に軍事クーデターが発生しました。経緯としては、2020年11月の総選挙でアウンサンスーチー氏が率いる国民民主連盟(NLD)が圧勝したものの、軍は選挙に不正があったと主張しました。これに対して選挙管理委員会は不正を否定しましたが、軍はその主張を撤回せず、選挙結果の無効を訴え続けました。

    最終的に、軍は憲法に基づき「非常事態宣言」を発令し、ミャンマーの統治権を奪取しました。アウンサンスーチー氏をはじめとするNLDの政治家が拘束され、軍のトップであるミン・アウン・フライン司令官が権力を掌握しました。軍事政権の成立後、国内外で抗議が起こり、市民の抵抗も激化しましたが、これに対して軍は強硬な鎮圧策をとり、紛争が長引く事態となっています。

    ミャンマーの政権交代は、選挙結果をめぐる軍とNLDの対立が発端であり、民主主義への影響が大きな国際問題となっています。

    フィリピン政変

    フィリピンでは、20世紀後半に幾度か政変が起こり、そのうち特に重要なのが、1986年の「エドサ革命」と呼ばれる非暴力的な民衆革命です。この革命により、長期独裁政権であったフェルディナンド・マルコス大統領が失脚し、民主化への大きな転機を迎えました。以下が、フィリピンの主な政変の流れです。

    フェルディナンド・マルコスは1965年に大統領に就任し、当初は経済成長やインフラ整備を進めましたが、1972年には戒厳令を敷いて独裁体制を確立しました。これにより反体制派を弾圧し、長期にわたる権力の集中が進みました。しかし、経済の悪化や汚職が横行し、人権侵害が広がったことで、次第に国内外からの批判が高まりました。

    1983年、マルコス政権への反対運動を象徴する存在だった野党指導者のベニグノ・アキノが帰国直後に暗殺されました。この事件はフィリピン国民に大きな衝撃を与え、反マルコス運動がさらに勢いを増しました。彼の妻であるコラソン・アキノも反マルコス運動のリーダーとして支持を集めるようになりました。

    1986年、マルコス政権は選挙を行いましたが、政府による不正が疑われ、結果が物議を醸しました。コラソン・アキノを支持する民衆は大規模な抗議運動を開始し、首都マニラのエドサ通りで約数百万人が非暴力の抗議活動を行いました。この「エドサ革命」によって軍や教会、国民の支持がアキノ側に傾き、マルコスはついに権力を放棄し、ハワイに亡命しました。

    マルコスの失脚後、コラソン・アキノが大統領に就任し、民主主義の回復に努めました。新憲法が制定され、議会や司法の独立が強化され、戒厳令下で制限されていた言論の自由も回復しました。しかし、政権下ではクーデター未遂が何度も起き、政情は安定しませんでした。

    その後もフィリピンは、エストラーダやアロヨ、ドゥテルテといった指導者たちによる改革や統治スタイルが変わり、政治は大きく動きました。特に、2016年に大統領に就任したロドリゴ・ドゥテルテは、強硬な麻薬対策で賛否両論を呼び、強権的なリーダーシップが再び国内外の注目を集めました。

    このように、フィリピンの政変は民主化運動や民衆の抗議運動によって権力が転覆され、民主主義が根付く過程でさまざまな困難を乗り越えてきました。エドサ革命は東南アジアにおける非暴力的な政変の成功例としても知られ、フィリピンの政治文化に大きな影響を与え続けています。

    まとめ

    このように特に発展途上国と言われる国々では、特に政治的な混乱がつきものです。
    というかどの国においてもこのような政変を繰り返し経験し、それを乗り越えて改善するのが自然なものです。

    それぞれの国において、どのような歴史的な背景があったのか、まずはダイジェストからでも
    構わないですので、知るということが大事ですね。なぜならば、現代人の性格が形成されたのは、
    過去の歴史や経験によるところが多分にあるからです。

    知っていると知らないとでは大きな差が生まれます。時間があれば深堀して知ることをお勧めしますが、
    少なくともその国で起こった歴史のダイジェストは知るようにしましょう。
    相手先や相手の国に敬意と興味関心を持つと言うことは、長く良好なビジネス関係を保つためにも
    必要だと確信しております。

    この記事を書いた人

    金子 浩二

    金子 浩二

    海外販路開拓・業務改善コンサルタント
    事業推進するための人材やノウハウ・スキルにお困りではございませんか?
    15年間の海外ビジネス経験のなかで、海外駐在を2度経験。最前線で営業マンとして活躍し海外市場を切り拓いた結果、計100社以上の海外企業へ販売を実現。
また計4社で11箇所の部署を経験、業務効率化に尽力。異動引継が多い環境であったため、如何に組織のなかで人材を機能させるかに着目した結果、仕組み化の重要性に気づく。
    これらの経験から2023年3月に独立し、GC COMMUNICASTIONSを開業。現在、企業様への海外販路開拓および業務改善という2つの切り口からコンサルティング支援中。

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